33年を経て再び
2018年9月24日 月曜日
9月22日の土曜日は外来診療の後、京都にいらしていた母校の自治医科大学の先生と職員の方と京都コンサートホールでの京響(京都市交響楽団)の第627回定期演奏会を聴きました。メインはブラームスの最後の交響曲である第4番ホ短調。準メルクルさん初指揮の京響の演奏もいつもながら素晴らしくて、とりわけ名手ぞろいの木管楽器陣のハーモニーの“グラデーション”の美しさはブラームスでは一層際立つように感じます。京響定演はS席でも5千円、安い席だと2千円でこんな上質のオーケストラを聴けるのも京都で暮らす喜びの一つです。(自分にとっては一番の喜びかも。)
当院の土曜日は沢山の患者さんがいらっしゃるので(この日は9時〜13時の診療で65人。やっぱり時間内に終われませんでした・・・)、土日の2日公演になる週末の京響の定演は時間に余裕のある日曜日に行くことが多いのですが、今回は京響友の会に電話して土曜日に変更してもらって診療を終えて昼飯はカロリーメートをガリガリ咬んでお茶で流し込んで(漢方医者の不養生・・・)、地下鉄で北山に急行したのでした。
京響定演を土曜日に前倒ししたのは、翌日曜日にサイモン・ラトル指揮/ロンドン交響楽団の来日ツアー演奏会が大阪・中之島のフェスティバルホールであったからでした。ロンドン交響楽団の演奏はCDやLPで聴いていいオケだなあと感じていたのです。一方、去年からスティーブ・ライヒ(アメリカの現代作曲家)の作品に興味を持つようになって、CDを買ったのがたまたまロンドン交響楽団パーカッション・アンサンブル(6名の打楽器奏者のみの演奏)による録音だったのです。このCDが気に入って何度も聴いていた時期に、またたまたま(へんな日本語)このアンサンブルの来日公演のチラシを手にしたのです。
スティーブ・ライヒ作曲(ロンドン交響楽団パーカッション・アンサンブル)
https://www.youtube.com/watch?v=McrifgWZMlo
今年3月8日に大阪のザ・シンフォニーホールでロンドン交響楽団パーカッション・アンサンブル(6名の打楽器奏者のみの演奏)を聴いて素晴らしいなあと感じたので、これはやはりロンドン交響楽団そのものを聴きたいと思ったのです。その願いは半年後の昨日すんなりと適うことになりました。しかも私の大好きなマーラー交響曲第9番という最高のプログラムをサイモン・ラトルさんの指揮で。ラトルさんは去年から母国英国の名門ロンドン交響楽団(LSO)の首席就任して、今年6月にベルリン・フィルの首席指揮者としての最後の指揮台に立ったばかり。そんな時期にLSOと来日公演を組んでくれて感謝・・・
ちょっと早めにホールに入ると、おお!半年前の3月の懐かしい顔。打楽器首席奏者のネイル・パーシーさん(http://www.neilpercy.com)が舞台で黙々と打楽器の調整をしてました。半年前に一度だけ、それもザ・シンフォニーホールの舞台と客席という距離を隔てていたのに何故か懐かしく感じられて、「あの時の演奏会素敵でした。ありがとう。」とまた拍手を送りたくなりました。
昨日の演奏会のプログラムは、明らかに今年生誕百年になるレナード・バーンスタイン(1918〜1990)を意識していて、前半のプログラムはバーンスタイン作曲の交響曲第2番「不安の時代」。新潟で録音されたツィマーマンさんのシューベルト交響曲と銘打っているけども実際にはピアノ協奏曲で、しかもピアニストはクリスティアン・ツィマーマン。ツィマーマンさんの演奏は最近買ったCDでも聴いていましたが、生演奏を聴けるのは今回が初めてでした。(そのCDとはツィマーマンさんの23年ぶりのソロアルバムで、雪の降り積もる新潟県柏崎市のホールでセッション録音されたシューベルトのピアノソナタ。ツィマーマンさん、とっても日本を愛してくれていて嬉しい。)アメリカ人作曲家バーンスタインならではのJAZZとClassicの融合した斬新な音楽の名演でした。そして休憩時間になって、「この後でマーラーNo.9をやるんだ・・・なんて内容たっぷりの演奏会なんだろう・・・」と思いました。
後半のプログラム、いよいよマーラーの交響曲第9番。演奏時間90分の大曲ですが、時間の長さを忘れる名演でした。弦楽の響きがとても深い。音に精神が宿っているのが第一楽章の出だしから分かります。もう出だしの部分でこの演奏会が凄いものになることは予感されました。金管楽器は最弱音でも完璧にコントロールされて弦楽器の最弱音と絶妙のハーモニーを奏でる。やはりロンドン交響楽団は世界最高峰のオーケストラの一つだと感じます。ラトルさんは楽章の合間にびっしょりかいた顔と首の汗をハンカチで拭いて、演奏中にも時々ポケットからハンカチを出して額の汗をぬぐいながら顔を赤くしてまさに全身全霊の指揮でした。終楽章は第3楽章から合間をおかず、ほとんどアタッカで始まりました。もうこれはマーラーの音楽の極地というか、多分西洋音楽が到達した究極の境地です。次元が違うのです。どう違うのかというと、この世の次元から、あの世(実際に在るのかどうか分かりませんが)の次元に歩んで逝くからです。誤解を与えるかもしれないですが、この第4楽章で謂わば三途の川を渡ろうとしているのです。第1、2、3楽章は人生に翻弄され、安らぎや喜びを得たかと思いきやまた運命に押し流される現世の音楽です。年齢の違いはあっても一人の例外なく人は必ず死を迎えます。人間にも動物にも植物にも実に様々な種類の病気がありますが、どれかの遺伝子が突然変異を起こして死ねなくなるという病気、「不治の病」ならぬ「不死の病」という病気だけは存在しません。この冷徹なまでに確実な死を、誰しも迎えることになります。第4楽章は死に逝く音楽です。なぜ死に逝くのか?肉体が滅んで魂の居場所が無くなるからです。その歩みは真っ直ぐ前を向いて進んでいくような歩み方ではなくて、自分の生きた人生(現世)への強い愛着を残したまま、数歩進んでは何度も後ろを振り返りながら、また浅い川を一歩一歩渡っていきます。川の向こう岸にはキリストも仏陀も「おいで、おいで」してくれる人影もなくて、ただ霧の向こうに山か野原のようなひっそりした光景がうっすら見えている。自分は死に向かって歩んでいるのだろうと分かっているけれども、なぜか恐れは感じなくて、そのうちにだんだんと人生への愛着は薄れ、自分は霧の中に溶け消えて逝く。第4楽章はそんな音楽だと思うのです。霧の向こうに何かあるのか、何も無いのか分かりませんが。
第4楽章の最後、弦楽器だけになって最弱音で奏でる音が消え、ホールは静寂に包まれました。ラトルさんの指揮する手が下りて、ちょっと間があってから会場から少しずつ拍手がクレッシェンドして大拍手と歓声に包まれました。聴衆の一人一人が、自分の死を体験して来て、今徐々に我に返ってきて拍手を送っているのだというのが分かりました。演奏者も素晴らしかったけれども、聴衆もこの曲を理解できる人が2700席を埋め尽くしていたのです。
そして、ラトルさんが拍手に応えて手で合図してロンドン交響楽団の団員を立たせたときに、私は思わず「あー」と心の中で驚きの声を上げました。団員の顔が皆、生まれたばかりの赤子のような顔をしていたのです。普通はどこのオーケストラでも演奏が終わって指揮者から促されて立ち上がり観客の拍手を受ける団員の顔というのは、充実感と達成感に満ちた晴れ晴れとした笑顔です。しかし、これがマーラーの第9交響曲の凄さなのです。団員はプロの音楽家として最高の演奏を行いつつ、一方では観客と同じく心の深い部分で一人一人の三途の川で自分の死を見てきたのです。その死を通じて、今までの人生で背負ってきた様々なことがリセットされ浄化され、演奏を終えた時また新たに生まれたような顔つきになったのです。団員に日常の笑顔が戻るまで幾ばくかの時間がかかりました。すぐにには現世に戻りきれなかったのでしょう。
33年前のチケット(上)と昨日のチケット(下)今回のような演奏者と聴衆が一体となった特別の感慨に耽った演奏会は33年前にもありました。演奏会が終わって電車で京都の自宅にもどって、古い段ボール箱を開けて、当時のプログラムを探し出しました。チケットの半券もプログラムと一緒にホッチキスで止めて保存していました。その演奏会は1985年9月833年前のプログラム(左)と昨日のプログラム(右)日NHKホールでのレナード・バーンスタイン指揮/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団によるマーラー交響曲第9番です。当時の私は貧乏医学生で、一番安いD席のチケットを買ったので演奏後の団員の表情まではよく見えなかったのですが、バーンスタインの入魂の指揮の名演は今も強く記憶に残っていて、今回の演奏会のような演奏者と聴衆の一体感がありました。演奏が終わって団員が引き上げた後も、観客が立ち上がって拍手を続けたので、バーンスタインが一人でまたステージに出てきて観客の拍手に応えていたのを覚えています。あまり時間が無かったのか、バーンスタインは右手で自分の腕時時計を指さす仕草で、観客の笑いを取るというユーモアも見せてくれました。今回の演奏会もロンドン交響楽団の団員がほとんどステージから引き上げた後も、観客が総立ちで拍手し続けたので、ラトルさんがまたステージに出て来てくれました。と、舞台の雛壇ではティンパニ奏者の方が楽器の後片付けをしていたので、ラトルさんがまたオケの団員を立ち上がらせるジェスチャーを見せて、それに応えてそのティンパニ奏者がラトルさんと二人で立って一緒に観客の拍手に応えるという、なんとも粋でチャーミングなイギリス人らしいユーモアを見せて観客を笑わせてくれました。超一流の人ってほんとにチャーミングですね。