ディスプレイと「肝」
2018年6月9日 土曜日
漢方治療を希望して当院を受診される患者さんのかなりの数に、中医学で言う「肝血虚」の割合が非常に高いと感じています。ここで言う肝とは解剖学で言うliver(肝臓)のことでは無く、中医基礎理論の中にある五臓六腑(心包を含めると六臓六腑)の一つである「肝」です。
中医基礎理論の主要な出典である黄帝内経素問には、「肝は目に開竅す」とされています。開竅(かいきょう)とは難しい言葉ですが、臓腑の機能が体表の孔に現れるということです。例えば肺は鼻、脾は口に開竅します。目は視覚を司る感覚器官であると同時に、孔として肝と繋がっていると捉えているのです。肝の病理は目の症状として現れ易く典型的には眼精疲労、目痛、目赤(眼球結膜充血)、流涙、眼痒、あるいは白内障などの視力低下など呈します。逆に目を酷使すると肝の病理を引き起こします。特に肝血虚の頻度が圧倒的に多いのです。黄帝内経素問に「肝は血を蔵す」ともあります。ここでいう「血」とは中医学で言う血であって、現代医学のBloodの概念を包含しますがさらに広い概念であり、人体組織を滋養する物質的栄養物を指しています。(これに対して非物質的なエネルギー物質を「気」と呼んでいます。)肝の主要な働きの一つは、この血を備蓄し人体各所の需要に応じて血を供給することです。例えば女性では月経前に血を胞宮(現代医学では子宮)に供給するようになっています。肝血虚の人はこの時に血のストックが乏しく、月経前には肝血虚が一層強くなるためにPMS(Premenstrual Syndrome)の諸症状が起こる頻度が高いのです。
目の酷使、特に夜に目を使い過ぎていると、少しずつ肝血が消耗されて肝血虚になっていきます。多くは数ヶ月〜数年かけて徐々に進行していきます。肝血虚はPMSだけでなく、多くの偏頭痛や眩暈、耳鳴などの背景となります。当院で漢方治療を行っている偏頭痛の患者さんの多くにも、肝血虚の病態が関わっています。また、閉経期前後の女性ではいわゆる更年期障害を起こす背景になります。肝血虚からは更に二次的な病態が派生します。頭痛、眩暈、耳鳴、皮膚瘙痒(血虚生風)やイライラ、易怒、月経痛(血虚気滞)や逆上せ、血圧上昇、不眠(陰血不足陽亢)などです。
以上は中医診断学の教科書に書いてあるようなことですが、教科書に書かれていないこと、日々京都で患者さんの診療を通じて感じることは、スマホやパソコン、テレビといったディスプレイを長時間とりわけ夜にずっと見ている方は、高率に肝血虚になっているということです。私の臨床経験からの推察ですが、ディスプレイ画面を眺めるVDT(Visual Display Terminals)作業を夜間に行うと、肝血を激しく消耗させると考えています。テレビやパソコンが普及する前、人々は間接光を見て仕事や勉強をしていました。つまり、窓から指す日の光やランプや電灯といった照明器具から発せられた光が、書物や新聞紙面に当たり、反射した光が人間の目に入って文字や画像として認識されるのが普通だったのです。書物や新聞紙面がパソコンやスマホの光る画面に置き換わってから、人々は光を直視するようになりました。人間の脳にとってこの違いは非常に大きいのではないかと思います。おそらく人間の目は、ディスプレイのような光を直に発するものを長時間見続けることに向いていないのです。
肝血虚の漢方処方では四物(熟地黄・当帰・白芍・川芎)という四つの生薬を補血の基本形として、枸杞子や抗菊花といった養肝明目の生薬を配伍したり、気虚を兼ねる方には黄耆などの補気薬を配して益気養血します。肝血虚から派生する二次的な病態にも配慮して、患者さんの病状に合わせて漢方処方上のテクニックを駆使して治療に当たっています。ただし薬よりも大事なことは養生です。肝血虚の患者さんにお薦めしている養生法は、夜は出来るだけ目と頭を使わないようにすること(夜に長時間のテレビやパソコン、スマホを避けること)、遅くと23時までには就床して夜更かしを避けて十分な睡眠をとること、朝食に卵(魚肉類でも良い)など動物性タンパク質も摂るようにすることです。養生をしながら、人によっては漢方治療も行っていくことで多くの方は徐々に改善していきます。