京都の居心地が良い理由
2017年12月18日 月曜日
母校自治医科大学の文化人類学のA教授が京都にいらっしゃったので、昨晩市内のレストランで夕食を御一緒しながら色々と楽しくお話ししているうちに、話題が“京都人論”に移ってきました。関東人のA先生、四国人の私は京都大好き&オーディオ趣味という2大共通点があるのです。A先生は京大や民族学博物館での研究会でよく関西にいらっしゃいますが根っからの京都ファンで(最近は京響ファンにもなってしまって定期演奏会に栃木からいらしている)、私も10年前に仕事のために京都に来たらてっきり気に入って住み着いて、とうとう医院まで開業してしまいました(当初はそんなことになる予定ではなかったのですが)。
美味しいイタリアンを食べながら、「京都は居心地が良い!」ということでA先生と私の意見は完全に一致。私は京都の居心地の良さの理由がよく分かっていませんでしたし、あまり深くも考えていませんでした。しかし、流石に文化人類学の専門家として長年世界中の民族の文化習俗を研究してこられたA先生の見解は的のど真ん中を突いていました。A先生曰く、日本国内はもとより世界中のあらゆるコミュニティーというものは、外から入ってくる者に対して、そこの仕来りや習慣に完全に同化することを要求する。ちょっとでも外れたことをすれば非難を浴びせたり除け者にしたりする。ところが、京都はその逆だというのです。外から入ってきた人が京都人の真似をしたり京都の蘊蓄を披瀝したりするのを嫌う。逆に、自分は外から入ってきた非京都人であることを公言して、それでも自分は京都が気に入って京都に住んでいると分かってもらえれば、京都の人はとても優しく迎え入れてくれる。同質化を拒絶し、来京者の自覚のある人は受け入れる、このような文化を持っているコミュニティーは世界中で京都だけだと、A先生は仰るのです。かくも高度に洗練された人間関係の技は、寺社仏閣の建築物や仏像みたいに形には見えませんが、京都の町や人々の間に空気のように存在しているのかもしれません。また、そうやって外から入ってきた人が京都にもたらす物や情報が京都の町の繁栄のエネルギーになることを、京都の人は千年の都の歴史から知っているのではないかと思います。
さて私ですが、診察室では「○○してはる」など京都弁は喋れず(喋ろうとも思わないし)相変わらず徳島訛りで通していて「先生は和歌山のご出身ですか?」などと京都の患者さんから楽しく間違われたり、京都の町の通り名の覚え唄(♪あねさん、ろっかく、たこにしき〜)もろくに覚えていませんが、これでいいのだ〜とバカボンのパパみたいでいいのだ。