機関誌掲載の記事から
2018年1月12日 金曜日
京都府の医師・歯科医師が加盟している京都保健事業協同組合(保事協)という組織があります。医療機関で使う様々な物品の共同購入や労働事務代行などをやっていて千数百名の会員がいます。毎月機関誌を発行していますが、他府県の保事協が作っている機関誌に比べて京都保事協の機関誌は個性的で手作り感があるとの評判だそうです。というのも、京都の医師や歯科医師は芸達者や趣味人が多く自前の原稿が集まるので、通り一遍のライターの原稿は要らないからです。表紙にはいつも会員自作の写真、絵画、生け花、陶芸、書が使われ、その道のプロの作品はありません。何年か前に私も表紙に自作の書や漢詩を掲載して頂きました。
今年の1月号は珍しく「マイ・ジュークボックス」という会員が推薦するCDやLPを紹介するコーナーの投稿が無いとのことでしたので、私(保事協の企画広報委員を拝命していることもあって)が原稿を投稿して掲載して頂きました。
マーラーの第九を聴くのには時間のゆとり(90分)と精神の集中が必要ですが、聴き終えたときの感慨は深いのです。昨年末にはマーラーの第九やベートーヴェンのミサ・ソレムニス、ヘンデルのメサイア(メサイアはサントリーホールで念願のバッハ・コレギウム・ジャパンの生演奏で)を聴きました。(私は年末にはベートーヴェンの第九は聴きません。日本では年末以外は滅多に演奏されなくなってしまった元祖「第九」の惨状・・・この名曲の価値が「年の瀬恒例行事」へと歪められてしまっていると思うからです。一クラシック愛好家としてできる、時流への小さな「抵抗」です。第九をオーケストラの年末興業にして欲しくないのです。)さてこのお正月、新年の一曲目のディスクは何を聴いて一年の始めにしようかとちょっと考えて、ヴォーン・ウィリアムズの“The Lark Ascending”(ひばり舞い上がる)を聴きました。この曲は平和で静かな日本のお正月の景色に合っているなあと感じるのです。何となく宮城道雄の“春の海”に通じるような世界が広がっています。万葉集にはこの曲名にぴったりの大伴家持の和歌もあります。
ひばり上がる 春へとさやに なりぬれば 都も見えず 霞たなびく
如何でしょうか?ヴォーン・ウィリアムズは日本人の感性にとても近いと思いませんか。
https://www.youtube.com/watch?v=ZR2JlDnT2l8