第39話 病者の祈り 〜陰の中に陽を求めて〜
2006年12月29日金曜日(高知新聞連載より一部改変)
イラスト 高知新聞社 提供
まだ晩年なんて考える年齢じゃないんじゃないの?と言われそうですが、曽野綾子さんの文章が好きで最近「晩年の美学を求めて」(朝日新聞社刊)という本を読みました。
人間誰しも、明日にでも事故や天災で死なないとは限りません。「晩年」というのは死んだ後で人が勝手に言うことじゃないかなと思います。モーツァルトは三十五歳、シューベルトは三十一歳で晩年でした。
「晩年の美学を求めて」の中に富岡幸一郎さんの「聖書をひらく」(編書房)という著書の引用があります。ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に無名の一患者の詩が書かれていて、「病者の祈り」と呼ばれているのだそうです。
大事をなそうとして力を与えて欲しいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった
より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱を与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人びとの賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった
人生を享受しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにといのちを授かった
求めたものはひとつとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神のみこころに添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中で 最も豊かに祝福されたのだ
曽野さんはこう続けています。
「人間にとって願わしいのは、健康である。ただ、神はそうした人間の選択に二重の『保険』をかけられた。人間は健康である方がいい。しかし仮に健康を失ってもなお、人間として燦然(さんぜん)と輝く道は残されているということだ。これは何という運命の、そしてその背後にいる神の優しさなのだろう」
今月いっぱいで、私は高知を去ることになりました。高知の患者さんとのお別れは残念です。四月から続けてきた「効用雑事」の連載も今回が最後となりました。
中医学には「陰中(いんちゅう)求(きゅう)陽(よう)」(陰の中に陽を求める)という漢方処方の原理がありますが、これは人生にも言えることだと思います。
おそらくは病院の狭いベッドの上で年を越される読者もおいでることと思います。医師としてというよりも、いずれは死を迎えてこの世を去っていく同じ人として、心を込めて皆さまに最終回を贈りたいと思います。ありがとうございました。