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第24話 古の医師 〜徽州 名医綺羅星の如く〜

2006年9月15日金曜日(高知新聞連載より一部改変)

イラスト 高知新聞社 提供   

中医学24・黄山.jpg 四年前の夏、高知県と友好提携にある中国・安徽省(あんきしょう)を訪れました。揚子江が貫いて流れている安徽省は東シナ海沿岸から数百キロ内陸にあります。

 「安徽」という名は世界自然遺産の名勝である黄山を挟んで北側の安慶州と南側の徽州という地名に由来します。黄山の北側の地勢はまさに平原。どこまでも地平線が続きます。

 この北側の平原を舞台に、数百年以上にわたり数多くの戦乱が繰り返されました。そのため、多くの文化人や知識人が戦乱を逃れて、黄山に代表される険しい山岳地帯の南側に移り住んだのです。その言わば桃源郷が徽州だったのです。

 黄山の北側とは一変し徽州の風景は山と川です。私は省都の合肥から空路南下し、山岳地帯を超えて黄山空港に降り立ちました。黄山市からバスで黄山に向かいましたが、途中の徽州の景色はまるでこの四国の風景そっくりでした

 山々の間に川底まで透けて見える清流が流れ、段々畑があちらこちらに見えます。空は青く澄み渡り、北側のようなほこりっぽさがありません。三十年ほど前の日本の懐かしい風景が広がっているような錯覚を覚えるほどでした。

 しかし、この山間の辺鄙な地域から、明代から清代を中心に綺羅星の如く多数の名医が輩出されているのです。例えば、清代初期の徽州歙県の名医呉謙は清政府の勅命により「医宗金鑑」を編纂していますが、この書物は清の官立医学校の教科書としてだけでなく、二百年後の現代の中医学においても重視されています。

 その他、「医方集解」「本草備要」の汪昴、「医学心悟」の程国彭、「古今医統大全」の徐春圃、「医述」の程杏軒、「医方考」の呉崑、「赤水玄珠」の孫一奎など多数に上り、明代に百五十三部、清代には二百九十二部の医書がこの徽州の地から生まれています。
 徽州から発した医学は新安医学と呼ばれます。新安とは徽州の別名で、この地域を流れる新安江という川の名称に由来します。新安医学は中国伝統医学の一大潮流となり、現代中医学の中核を成しているのです。

 今や中国は、北京、上海、広州など沿岸部の大都市が経済と文化の中心です。なぜ、その昔徽州のような辺鄙な地域にこれほどの医学が発達したのかを考えるとき、当時の徽州の経済文化レベルの高さを見逃すことはできません。次回は、そのことについてお話しましょう。