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第37話 思い出の演奏会 〜魂を浄化する音楽〜

2006年12月15日金曜日(高知新聞連載より一部改変)

イラスト 高知新聞社 提供   

バーンスタイン.jpg 1985年9月8日、NHKホール。レナード・バーンスタイン指揮、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会。当時、“マーラー中毒”の貧乏医学生だった私は日々の食費を削ってチケットを買い(医者の卵の不養生…)、オーケストラ部の仲間と聴きに行きました。曲目はマーラーの交響曲第九番。

 この曲目と演奏者の組み合わせ、ユダヤの血です。マーラーもバーンスタインもオーケストラも。第二次大戦を含めて迫害と放浪の歴史に翻弄(ほんろう)されてきたユダヤ人が作曲しそれを演奏する。パレスチナ紛争の政治的軋轢(あつれき)を反映してか、NHKホールの周りはこの演奏会を中傷する街頭宣伝車のメガホンの声がけたたましく、機動隊が取り締まりをしていて、物々しい雰囲気に包まれていました。

 マーラー(1860〜1911年)はウィーンで活躍、晩年はニューヨークに移った作曲家兼指揮者です。十数人の兄弟の大半を病気や自殺で失い、溺愛する二人の娘も病気で亡くし、自身も心臓弁膜症で苦しんでいました。少年期から人の死を身近に見てきた彼の死に対する恐怖は病的にまで強められ、音楽は天才でしたが、一個人としては火宅の人だったのです。

 マーラーは九つの交響曲を完成させましたが、実際には独唱付きの「大地の歌」と、未完成の第十番もあります。彼の全作品の根底に流れるテーマ、それは「死と再生」です。一つの交響曲を作るごとに自己を葬っているのです。第四番のように天国的な美しさの中に葬る時もあれば、第六番では奈落の底に、「大地の歌」では東洋的な諦念(ていねん)の中に葬っています。死を恐れる故に、死とは何かを生きたまま必死で捉えようとしています。

 第九番では、俗世の艱難(かんなん)辛苦を右往左往しながら生き長らえてきた肉体が今まさに朽ちようとして、ついに死を受け入れざるを得なくなった時の魂の有り様を奏でています。この曲は宗教や信仰とは対極にありながら、私たち俗人の魂を浄化する力を持っているように思うのです。

 「息が絶えるように」とマーラーが楽譜に書き添えた最後のppp(最弱音)の後、ホールは浄化された静寂の空間でした。やっと、ゆっくりと客席に体を向けたバーンスタインは涙を流していました。死を前に魂が生の喜びも悲しみも万感の思いで抱きしめながら、肉体は朽ち果てて解き放たれていく感覚。死の瞬間とはそういったものかもしれません。

 演奏会が終わってオーケストラの団員が舞台裏に引き揚げた後も、聴衆はステージの周りに歩み寄って拍手を送り続けたのです。