京都・漢方専門クリニック 

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第8話 最後の教え ~身をもって奥義を示す~

2006年5月26日金曜日(高知新聞連載より一部改変)

イラスト 高知新聞社 提供   

 茶の師匠のN先生は大阪の人でしたが、お生まれは出雲の隠岐で石州流不昧派の流れを汲んでおられました。若い頃は旧満州国の大同学院で地元の貴族の子息と机を並べて勉強されたそうです。稽古の休憩時間にタバコをふかしながら、満州の大地に沈んでいく真っ赤な夕日の美しさを何度も語って下さいました。

 五年前、先生は肺癌を患われました。最初は咳が治まらないから肺炎か気管支炎だろうと思って病院を受診されましたが、診断は肺癌だったのです。既にかなり進行しておりご高齢も考慮し手術も抗癌剤治療も受けず、病名も告知しご納得の上で自宅療養されていました。私は鳥取での学会の後すぐ高速バスと電車を乗り継ぎ、夜になって岸和田のご自宅まで伺いました。

 玄関に上がると「まあ、ほんまに遠いとこすんませんなあ。」といつものニコニコ顔で声をかけて下さいます。長い間お目にかからずに不義理をしていたのに進行癌を患った師匠から労われ、私はもう何とお応えしてよいか分かりませんでした。座敷に上がると、穏やかに話されながら薄茶を点てて下さいました。

 「どうですか、もう一杯。」

 「はあ。」

 もうなかなか言葉が出てこず、自分が喋ったことはほとんど記憶していません。覚えているのは、先生はとてもお元気そうで頬も手もとても血色が良く、裸足の足をみると踵の辺りまでほんのり薄紅色で綺麗です。癌は相当進行しているはずなのに・・・

 「今日は、明徳さんに予め言うときたいことがあるんですわ。」

 「はい・・・。」

 「私が死んだ時には、ごく親しい身内にしか伝えません。そのうちに皆さんの耳にも伝わっていくだろと思います。」

 そう仰って先生は形見にと茶碗を一つ下さいました。

 「まあ、何かの機会に使って下さい。」

 もう、胸に迫るものがあり、こんな時にありきたりの意味のない言葉しか出てこない自分が情けないと思いつつ、お元気そうだからまだ大丈夫と自分に言い聞かせ、おいとまさせて頂きました。

 一ヶ月ほどして、親戚のTさんから電話がありました。「N先生、十一月二日に亡くなったそうじゃ。最後の言葉はな、『夕日が見たい』だったそうじゃ。」私あの後、二週間ほどして急に体力が落ちて入院し、数日で逝かれたのです。やはり、あの時の血色の良さや肌の薄紅色は、中医学で言う陰陽離散の兆候でした。人の陽なる魂は天に、陰なる肉体は地に帰ると考えているのです。陰陽がまさに乖離しようとしているその時に、陽が身体の表面にふわっと浮き出して、一見普段より元気で血色良く見えることがあるのです。N先生は最後にご自身の死を以って陰陽の奥義を示して下さったように思うのです。先生は最後まで与え続けた愛の人であり、真の自由人でした。何も師にお返しできなかった不徳の私は、この文章を通して師の生き方と逝き方を読者の皆様の心にお伝えし、恩に報いたいと思うのです。