京都・漢方専門クリニック 

【健康保険適応】 

 診察予約 075−352−3737


当院は中医学を専門とする日本人の漢方専門医が保険診療を行っています。

第27話 Let it be. 〜神様がくれた「閑」〜

2006年10月6日金曜日(高知新聞連載より一部改変)

イラスト 高知新聞社 提供   

中医学27・手書.jpg トラブルは不思議と重なるもので、職場と自宅のパソコンがほぼ時を同じくして故障してしまいました。ずっと原稿作成にはパソコンのワープロソフトを使っていましたので、困ってしまいました。原稿用紙に向かうのは二十三年ぶり。医学部受験の際に小論文を書かされて以来です。

 こうやってペンで手書きしていると、普段と頭の中の思考回路が少し違っているな、と感じます。パソコンだと、思ったことをとりあえずキーボードで打ち進めていき、文脈の流れがおかしい個所をカットして別のところに張り付けすることができます(何という便利さ!)。

 この技をあえて原稿用紙でやろうとすると、はさみで文章を切り抜いて別の場所にのりで張り付けるということでしょうが、原稿用紙の文字はパソコンの画面上のように割り込みさせてくれません。正直、パソコンに慣れてしまった者には不便です。まるで、明るい蛍光灯の生活からろうそくの生活に変わった気分です。

 しかし、これもけがの功名(今回のタイトルは「功名雑事」が似合うかも?)。面白いことを発見しました。原稿用紙に手書きするためには、ペンを進める前に、文章全体の構成をまず頭にイメージしていることが必要です。

 言い方を変えれば、最初から「段取り」を要求されるということだと思います。仕事上のプロジェクトのような大がかりなものから日常の掃除や料理に至るまで、段取りはとても大切です。

 みそ汁を作っている間に焼いたサンマが冷めてしまったら、せっかくの秋の味覚も台無しです。学校の授業にもパソコンが使われているようですが、未来の作文の授業でもパソコンが使われるようになるのでしょうか?

 現代を生きる私たちにとってはパソコン文章作成術も必要になっているような気がします。しかし、一方で原稿用紙に手書きする従来の作文の授業が中心であり続けてほしいものです。

 私のパソコンが壊れてもう十日も電子メールのチェックができていません。最初は少し気がかりでしたが、これも神様からの「閑」のプレゼントだと思うようにしました。パソコンの修理が終わったら、メールがどっさりたまっているのでしょうが…。
♪ Let it be. Let it be. ♪ ♪