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第28話 時空を超えて 〜「気」を放つ風信帖〜

2006年10月13日金曜日(高知新聞連載より一部改変)

イラスト 高知新聞社 提供   

中医学28・書の気.jpg パソコンの故障は、「書く」ということを考え直す良い機会を与えてくれました。

 二年前、高松の学会に行った時、たまたま駅ビルで昔の著名な文人や音楽家の書簡の企画展をやっていました。ロマン•ロランやシーラーといった文人のほか、ベートーベンの直筆の手紙を間近で見ることができました。ドイツ語で書かれていて内容はさっぱり分かりませんが、筆跡は皆非常に個性的でした。

 その中で強く印象に残るものがありました。ゲーテ直筆の手紙です。その筆跡の美しさは例えようもなく均整がとれていて、しかも自由でのびのびとしています。まさに美の権化のように思えたのです。

 今年二月、東京国立博物館での「書の至宝−日本と中国」展に足を運びました。中国からは王義之、欧陽詢、智永、懐素、蘇軾、米芾などが、日本からは聖徳太子、空海、小野道風、藤原佐理、藤原行成、一休宗純、良寛らの書がずらりと並び、千年以上の時空を超えた書の至宝展でした。

 朝から並んで開門と同時に会場の建物へ一直線。最初のフロアの王義之、蘇軾も後まわし。目指すは一つ。息を切らして駆け込んだ奥のフロアはなんと私一人。そこには、昔、空海が最澄にあてた手紙、風信帖がありました。空海の直筆を目の前にして、千二百年の時空を超えて空海に出会った気がしました。

 私は右手の人さし指でその筆跡を空でなぞっていました。なんとすべてなぞり終えるまでの十分間ほど、そのフロアには私一人だったのです。これも同行二人というべきでしょうか。

 私は仏教の教義は分かりません。その昔、命がけで唐に渡り、密教だけでなく多くの学問や文物を日本に持ち帰ってきた強烈な信念の人が私にとっての空海です。その筆跡には造形的な美しさを超えた「気」の力を感じます。

 ゲーテと空海、この二人の書は一生忘れることができません。墨の黒は炭素の微粒子として、インクの黒は酸化鉄の沈着として、長い年月を経ても色あせることなく、書いた人の心を伝えてくれます。以来、私は患者さんの紹介状の封筒に記す紹介先の医師と患者さんのお名前は必ず愛用の万年筆で直筆することにしました。

 診療情報はプリンターで印字しても、紹介先の医師への敬意とこの患者さんを大切にしてほしいという気持ちが少しでも伝われば、と思うようになったからです。