京都・漢方専門クリニック 

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第38話 恩師の思い出 〜人として向き合う〜

2006年12月22日金曜日(高知新聞連載より一部改変)

イラスト 高知新聞社 提供   

中医学38・不動明王.jpg 昭和四十九年、小学五年の時、M先生という男の先生が私の担任でした。その年の夏、父が水難事故で他界し、祖母、母、二人の妹の家族の中で男は私一人になってしまいました。

 ずっと後になって妹や親せきから聞いたのですが、十一歳の私は押し入れの中で一人で泣いていたり、日暮れの校庭の砂場で一人で遊んでいたそうです。しかし、私には全くその記憶がありません。子どもにとって本当につらい思いは、自分でも意識されない心の深層にしまい込まれてしまうものなのでしょうか。

 おそらく、子どもなりに虚勢を張っていたのでしょう。ある日の授業中、私はふざけていました。M先生はカッと目を真っ赤にして大声で一喝したのです。「人生のピエロになるな!」。クラスの友だちも驚き、教室は静まり返りました。沈黙の中で、M先生は私を憤怒の形相でにらみつけていました。

 その時、私は怖くはありませんでした。子ども心に、先生は真剣に僕の将来のことを心配しているんだ、ということを言葉ではなくイメージとして直感したからです。あの時の先生は、今私の中で不動明王の姿に重なっています。

 M先生は音楽がご専門で、私に小学校の音楽クラブに入らないかと勧めてくれました。当時、音楽には関心はなかったのですが、機械いじりが好きだった私は音楽室の新品のオーディオ目当てにクラブに入ったのです。

 M先生の提案で、生徒が思い思いのレコードを持ってきて、そのオーディオで皆に聴いてもらおうということになりました。しかし、私の家には戦前の軍歌とオバQや怪獣ブースカといったアニメ主題歌のレコードしかありませんでした。これでは先生に失礼だと母は思ったようで、どこからか一枚のレコードを買って来てくれました。

 それは当時ロンドン・レコードから出ていたウィーンフィルが演奏するウインナ・ワルツ集でした。価値が分からない私は軍歌やアニメソングよりはましだろうと、それを学校に持って行きました。

 M先生は上機嫌でレコードジャケットを見ながら、小学生を前にドイツ語で曲名を紹介し、新品のオーディオで「美しく青きドナウ」を聴かせてくれました。私をしかった時の形相とはまるで違う、柔和な表情がそこにありました。何より、先生ご自身が音楽を楽しまれているのが、小学生の私にも伝わってきました。

 その時が、私の音楽好きの始まりでした。先生は教師としてというよりも、人として生徒に向かい合ってくださったのです。