現代医療の中で漢方医学が役に立つこと

現代医学でよくならない症状でも

 

漢方薬で改善することがあるのです

“医学は進歩した” はずなのに

■医学は進歩したはずなのに

 医学は日々進歩しています。多くの研究成果が生まれ、驚くような発見がなされ、難しい疾患もそう遠くない将来に完治できる世の中になるのではと私たちは期待します。しかし一方では、様々な検査をしても異常が認められなかったり、あるいは診断が確定しても根本的な治療は無いと告げられ回復への希望を見失ってしまっている人は多いと思います。他の医療機関を受診しセカンドオピニオンを聴くことは賢明だと思いますが、それでも結果が同じであればその人たちはどういう選択をするのでしょうか。おそらく医師あるいは病院から離れていって、仕方がないと諦めて日々我慢して生きていくか、現代医療以外の方法を試そうとしてネット上に氾濫する様々な情報を追いかけているのではないかと思います。

■病が改善しないのは

 現代医学は病気の原因となる要素を突き止めようとします。その要素とは具体的には遺伝子やホルモン・酵素などの生理活性物質、細胞・組織を構成する特定の物質、あるいは様々な病原体などです。漢方医学では決して認識できないこれらの細胞レベルや分子レベルの領域を認識できることは現代医学の素晴らしい成果です。

 

 病の源がそれらの要素にあるのならば、その要素に対して人為的に何かを加えたり、取り除いたり、刺激したり、抑制したりしてコントロールすることによって、結果としての病も解消するように思えます。そして実際にこのやり方で健康な日常生活を取り戻している患者さんはたくさんいます。しかし一方で、この特定の要素に対する働きかけだけでは、健康な日常を取り戻せていない方も大勢いるのです。なぜ病は改善しないのでしょうか。

■原因と結果の連鎖が病を複雑に

 原因があれば結果があります。病気もそうです。原因(病因)→結果(病気)と簡単な図式で表すことが出来るような場合、この原因にピンポイントで働きかければ病気は治るはずです。ここは現代医学が力を発揮できるところです。しかし、実際には原因と結果の関係はそれほど単純ではありません。つまり生じた結果が新たな原因(派生要因)となり、次の結果を生じていくからです。原因1→結果1(=原因2)→結果2(=原因3)→結果3(=原因4) ・・・ といったように。しかもそれぞれの原因は単一の結果を生じる(線形)のではなく、多くは複数の結果を生じます(非線形)。原因と結果を繰り返しながら、病態は全体に網目のように広がって複雑になっていくのです。特に慢性疾患はそうです。たとえば、長期化したリウマチの患者さんでは関節痛以外に、倦怠感、肩凝り、頭痛、冷え、情緒不安、不眠、便秘、下痢など実に様々な症状で悩んでいらっしゃることは少なくありません。

 

 昔の人はこのように複雑化してしまった病を痼疾(こしつ)と呼びました。やまいだれに固まると書いて、的を得た字だと思います。原因と結果を繰り返しながら、症状は複雑になって固定化していくのです。

■人体は究極の複雑系

 現代医学の新薬でこの原因と結果の主要部分を断ち切ることは重要だと思います。そのような新薬は次々と開発されていっています。しかし、すでに網目のように拡散してしまった人体の不調和は、それだけではなかなか元には戻りません。そのような不調和を調和へと導くためには、原因-結果の考え方とは異なる認識の仕方が必要なのです。人体は究極の複雑系であり、複雑系に生じた不調和に対処するための方法論が必要なのです。

 

 

 漢方医学は陰陽・臓腑経絡・気血津液・六淫七情といった概念でその不調和の状態を「証」という形で表現し(弁証)、その不調和を調和へと導く方法と漢方処方という具体的な治療手段を提示します(論治)。その不調和の有り様を認識するために、漢方を専門とする医師は患者さんから症状を聞き、脈に触れ、舌を見て、顔色や動作や話し方などからも身体情報を得るのです(四診、すなわち望・聞・問・切)。

History

 私の生家は徳島の旧鷲敷町(現在の那賀町)で代々薬屋を営んでおりました。私で七代目になります。画面下の店舗の写真は私が生まれるずっと前の昭和3年頃のものです。当時は西洋医学のお薬と漢方薬の他に、花火などに使う火薬なども取り扱っていたそうです。

 薬屋は私の母の代で終わりました。母には旧制徳島中学校に通っていた兄がいましたが、米軍機による徳島大空襲の際に爆風で吹き飛ばされ田圃の中に落ちて怪我をしました。その傷口から破傷風に感染し夭逝したのです。生家が薬を取り扱っているのに消毒薬は全て軍隊に拠出を求められていましたので、手持ちの消毒薬は一つも残っていなかったのだそうです。祖父や祖母はどれほど悲しみ悔しんだだろうかと思います。

 母は歌が好きで本当なら東京に出て声楽をやりたかったそうですが、やむなく母が薬店を継ぐことなり薬種商の試験を受けたそうです。戦後間もない頃の薬種商の試験では、漢方生薬の実物を見せられてこれが何であるかを答える実技試験もあったそうですが、子供の頃から生薬を見慣れてきた母はほとんど答えられたそうです。

 父は明治大学で経営学を学んだあと徳島に戻って会社に勤めていましたが私が小学生の時に水難事故で他界し母は平成23年の冬に亡くなりました。実家の薬店があった場所には、今は教会(鷲敷キリスト教会)が建っています。

 私は京都には知人も親戚もいませんでしたが、学生時代に昔風の旅館の二階の窓から五山の送り火の大文字を眺めている夢を見て、それがずっと長く印象に残っていました。偶然かもしれませんが、縁あって先祖代々家業としていた漢方を、この京都で実践することになりました。生家徳島の篠原一貫堂は京都の明徳漢方内科に継承され、中医学を取り入れて更に高いレベルの漢方診療を追求しています。

生家
昭和3年頃の写真で店舗を改装した時に撮影されたもの。この写真と次の写真は、徳島県薬業誌(徳島県薬事史編纂委員会編、昭和63年刊)p53~60(カメラで拾った二軒の老舗 第2章 那賀郡鷲敷町・篠原一貫堂)に掲載されています。現在この場所にはキリスト教会が建っています。
徳島県から発行された免許証
「諸鑑札入」と墨書された和紙袋の中に、薬業を営むための様々な免許証がまとめられていました。その一部をお見せしています。
先祖が使用していた処方書「衆方規矩」
「衆方規矩」は室町時代の京都の医師・曲直瀬道三・曲直瀬玄朔親子の著作による漢方薬の処方解説書で、江戸時代には広く普及したものです。生家は那賀川の氾濫で浸水したことがあり保存状態は良くありません。
先祖が学んでいた「傷寒雑病論」
漢方医学の最重要古典「傷寒雑病論」。赤や黒で書き込みがしてあり、中には右のようなメモが挟まっている箇所がありました。

京都駅から徒歩7分 健康保険適応】

診療予約 075 - 352 - 3737

・京都駅から徒歩7分。京都・大阪・奈良・滋賀方面など
  関西の各方面からの交通が便利です。
・漢方診療20年の漢方専門医が診察を行います。
・健康保険で漢方薬による治療を受けることができます。
・医療用エキス製剤、煎じ薬(生薬)いずれも処方できます。
・科目の別なく様々な疾患の漢方治療を行っています。

京都・漢方専門クリニック

 

 明徳漢方内科

 

  Meitoku Kanpo Clinic